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議員達はその名前を言うように要求したが

7月26日(テルミドール8日)、国民公会でロベスピエールは、「粛清されなければならない議員がいる」と演説をした。議員達はその名前を言うように要求したが、ロベスピエールは拒否。攻撃の対象が誰なのかわからない以上、全ての議員が震えあがった。反対派たちの結束はこれで決定的なものとなった。

その晩、ロベスピエールはジャコバン・クラブで演説し、「諸君がいま聞いた演説は私の最後の遺言である」と発言した。彼は翌日の悲劇を予感していたのかもしれない。
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翌7月27日(テルミドール9日)午前11時、ロベスピエールらは国民公会に臨んだ。しかし、議長のジャン=マリー・コロー・デルボワ(公安委員会のメンバー)やタリアンらはロベスピエールらの発言を阻止。 場内から「暴君を倒せ」と野次が上がる中、タリアンはロベスピエール派の逮捕を要求し、午後3時、ロベスピエール、クートン、サン=ジュスト、ル・バ、オーギュスタン・ロベスピエール(ロベスピエールの弟)らを逮捕する決議が通過した。

その後、パリ市のコミューンが蜂起し、その隙にロベスピエールらはパリ市庁舎に逃げ込む。市庁舎にはロベスピエールを守るべく司令官フランソワ・アンリオ(泥酔していたと言われる)率いる200人の国民衛兵と3500人の群集が集結してきたが、独裁者と呼ばれたくないロベスピエールに彼らの先頭に立つ気はなかった。この間に、国民公会では、議員達がロベスピエールらコミューンに従うものを法の外に置くことを決定した。深夜になって国民衛兵は引き上げ、ポール・バラス率いる国民公会の派遣軍はあっさり市庁舎を占領。ル・バはピストル自殺し、ロベスピエールも自殺を図るが、失敗し、顎に重傷を負い、逮捕された。後のフランス軍准将シャルル・アンドレ・メルダは自らが顎を撃ち砕いたと主張している。

翌7月28日、かつてロベスピエールの指示に従って反対派を断頭台に送り込んでいた革命裁判所の裁判長アントワーヌ・フーキエ=タンヴィルはロベスピエールらに死刑判決を下した。午後6時、ロベスピエール兄弟、サン・ジュスト、アンリオら22人は革命広場でギロチンにより処刑された。翌日には70人のコミューンのメンバーが処刑され、その翌日には12人が同じ罪状で処刑された。

なお、ジャン=バティスト・カリエやフーキエ=タンヴィルやらジャコバン派の生き残りはその後同年から翌年にかけて逮捕・処刑された。

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2009年06月01日 15:49に投稿されたエントリーのページです。

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